フェンダーレスが理解できない。
私のバイク人生においていまいちわからないカスタムの代表格なのである
こういう考えの人は私だけではないようで、少なくとも私がバイクに乗り始める前からフェンダーレス有り無し論争は続いている。yahoo知恵袋をみるだけでも2009年~2021年まで似たような投稿が見られるのだ。
フェンダーレスとは
タイヤ周辺に配置され、泥はねや飛び石から運転手と車体を保護するフェンダーのうち後輪側に装着されているリアフェンダーを切断、組み替えて行うドレスアップタイプのカスタムの一つ。
新車で買ったらまずカスタムする箇所としてフェンダーレスを挙げる人がいる。
私のバイク仲間にも一人いて、フェンダーレス化を周囲にも進めてきたり、未加工のフェンダーに対して何かと言及してきたりするので少し煩わしく思うこともある。
私はノーマルフェンダー原理主義者でもフェンダーレス派でもない。どちらかというとフェンダー弄らない派だ。フェンダーレスが嫌いとかではない。
フェンダーレス嫌い派の意見としてよく見られる「フェンダーレスは乗っている本人だけでなく泥はねで周囲や後続車の迷惑をかける」という話があるが
純正フェンダーでも水たまりを踏んだら後輪から水柱が上がるバイク*1や車検適合してるのに後続車が煙と油まみれになる2stバイクを知っているので、そこに関しては私はどうこう思わない。
今回はメリットデメリットではなく、フェンダーレスを何故行うのか、いつからそのカスタムが行われるようになったのか、気になったので調べてみることにした。
フェンダーの歴史について
歴史を知ることは物事の理解のための足掛かりとして有効である。
フェンダーレスそのものの歴史が書いてある資料は探してみたものの存在しないので、まずはフェンダーの起源を辿ることにする。
そもそもフェンダーは実験的な車両を除き、乗用車、バイク共に100年前の車両にも付いている物である。
乗員だけでなく車体本体や周囲の歩行者の保護のためにも装着されていたようだ
特に初期のバイクは、原動機そのものやカムが剥き出しの物が多く、泥や石が飛んでおこるであろう破損や動作不良から保護するためにもフェンダーは有用なものであったと思われる。
写真は世界初の量産バイクとされる1894年発売のヒルデブランド&ヴォルフミューラー。クランクやコネクティングロッドが剥き出しになっている。
このバイクでフェンダー無しで未舗装路に突っ込んで行くのは流石に勇気がいるだろう。現代よりはるかに舗装路が少なかっただろうし。
ちなみにこの極厚のリアフェンダーにはエンジン冷却水が入っているらしい。一つのパーツで役割を沢山こなすものとか好きなので非常に好感がもてる
このようにフェンダーそのものに付随効果を持たせるものもあり、例えば車の話になるが
フェンダーに装着するカーブフィーラー(側面を擦ると音で運転者に知らせるバンクセンサーのような物)
空力的に優位になるために考案されたタイヤの上半分を覆うフェンダースカート
など、フェンダーは車輪駆動する乗り物にさまざまな形で利用されてきたことがわかる
フェンダーレスの起源
そこからどのような形でフェンダーレスは生まれたのか。
その起源、祖先と思われるカスタムは、チョッパー、あるいはボバースタイルである。
チョッパー、ボバーといえばハーレー。ハーレーといえばアメリカ。ということでアメリカのケースを紹介する。
画像はハーレー製の戦時中に製造された42WLAである。
戦後アメリカでは暇を持て余した元兵隊達が、使われなくなった軍用バイクを整備して牧場を改良したダートトラックでレースしたりツーリングを楽しんでいたそうだ。
戦時中は軍用バイクに求められたであろう全天候、悪路走行、戦局に対応するため、取り付けられていた弾除け、泥除け、風防、それらをつなげるフレーム、ステー
それらをとっぱらったのがチョッパー、ボバーカスタムのはじまりとされている。
軍用バイクをレースに使うのは都合良かっただろう。整備面を考慮して規格が同一なおかげで純粋にライダーの技量でレースが決めることができただろうし、ダートトラックレースの過酷な路面にも耐えれたはず。
現代のfrpや樹脂で作られた外装を外したところで軽量化におおきな違いはないが
当時のバイクは樹脂製パーツでは無く鋼管、鋼板が多用*2されているので比重が大きいこれらを外すことによる軽量化は非常に効果的だっただろう。
英語Wikipedia記事記載の42WLAのスペック表では重量は245kg。これが乾燥重量なのか装備重量なのかは不明だが、私のバイクでステンマフラーをチタンマフラーに切り替えただけで5-6キロ軽量化できたことを考えると、外装やステーを外すだけでかなりの重量を削れた可能性は十分考えられる。
あとチョッパーカスタムが隆盛した理由で考えられるものは同一規格の量産機に自分のバイクという個性を持たせたいという気持ちだろうか。
戦後の物が少ない時代に派手に改造しようと思ったら、外装を切り貼りした方が安上がりで済んだはず。
当時のアメリカで自分ひとりだけのバイクがほしいという願望とレース目的の軽量化の二つが関与してこれらのスタイルが生まれたのかもしれない
そのためにフェンダーなんて真っ先に取り外したのだろうし、多少のドロ汚れなんて気にしなかったのだろう
日本のフェンダーレス話
ここからは日本の話。
~1950年
戦前の日本のバイクはヨーロッパの車両を参考に作られたものばかりで特にフェンダーレスの車両などの写真は見当たらない。
小規模ながらも国産バイクが各地で生まれ、ハーレーの正式なライセンスを得た三共が日本製、といっても中身はハーレーのバイク陸王を開発。
第二次世界大戦中も軍用として形を変えながら少数ながら生産される。
そこから終戦後の荒れた時代に突入
荒地や細い未舗装等を走るための欧米のバイク達の薫陶を受けた小中排気量バイクが普及。ヨーロッパのレースには及ばない規模であったが、浅間山火山レースが開始。HONDAのカブシリーズ、YAMAHAのYDシリーズなどが爆誕。
1960年
マン島レースで優秀な成績を収めたHONDAを皮切りにバイクが日本中に普及することになる
1965年以降舗装路も爆速で増加したのも影響してか、この頃に第一次バイクブーム突入。乗用車と違ってローンの金利が異常に安かったり保証人がいらなかったりして、バイクを乗り回す若者が増加。
そしてこの頃からカミナリ族(暴走族のルーツ)が出現。その後5~10年先にはより過激な暴走族が出現。
この暴走族、グループによっては現代のソレとは比べ物にならんくらい過激だったみたいで、強姦、破壊行為、派出所の襲撃、警察車両にたいして投石と一歩間違えば北斗の拳のヒャッハーと変わらない人たちもいたようだ。
・・・・いかんここまでフェンダーレスに関する情報がここまで全くない。
強いて言うなら当時の写真見る限りレース車以外はまるでフェンダーレスは見向きもされてないといったところか。
1980年代
第二次バイクブーム。鈴鹿8耐が世界耐久選手権レースのひとつとして組み込まれ、レース向きのフルカウル車が大幅に増加。この辺からフェンダーレス加工された車両の画像がゴロゴロでてくるようになる。
レース用の車両を公道用に、中には道交法に違反しない程度に保安部品を取り付けただけの車両も存在するレーサーレプリカが大流行することに。
この年代1980年~1990年代の車両、特にレーサーレプリカの写真を見ていて気づいた点がある
リアフェンダーの形が各社ほぼ同じで没個性すぎる
なんというかこの、とってつけた感が凄い。車両の方に全力注ぎすぎてフェンダーまで力注いでない感がにじみ出ている。
当時の車両を見たい人はこちらで探してね↓
バイクカタログ・諸元表・スペック情報からバイクを探す-バイクのことならバイクブロス
現代の車両のリアフェンダーが多様な形状をしているのに対して当時のリアフェンダーは車両のデザイン無視の適当なデザインに見える。
そのうえレース車両を模して造られているのだから、憧れがあってリアフェンダーを切除したくなる気持ちもわからなくもない。この辺に答えがあるような気がする。
<結論として>
バイクの歴史から見たフェンダーレスについて抱いた私の所感は
・今日行われているスポーツ車のフェンダーレス加工はアメリカ発祥のボバー、チョッパースタイルとはあまり関係ない(ボバーは元々レース用のカスタムだったらしいが)
・1980年代にフェンダーレス加工が流行した。理由はレースブームであったことと当時の車両のリアフェンダーがチープで車両に則したデザインではなかったから。
・フェンダーレス加工は元をたどれば1920年代からレース車両を中心に行われており、レーシーな外見を出すために現代も行われている
ということか。正直なところ1980年の話を最初に見ていればこの話はすぐ終わっていたのだが、他の知識も得られたので良かったことにする。